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頭の整理のために文字起こしする場

食べるのがんばった

食べるのがんばった

なんでか私は人より、「食事」の優先順位が低いらしい。めんどくさくてご飯を食べないときがあるのだが、それを人に言うと意味が分からないと言われる。えっ

不健康そうな見た目とよく体調崩すからか「ちゃんと食べてる?」と言われる。心当たりがありすぎて「うっうん、まぁ…」と返していた。ふと、ちゃんと食べるってなんぞや? と聞いたら「三食しっかり食べること」と返され、しっかりって何を? と聞くと「栄養バランスが〜」と返された。

何をどのくらいどうやって食べてるのか気になったけど、そんな根掘り葉堀り聞こうにもお互い何食べたかあんま覚えてないからぼや〜っとしたことしか喋れない。なら、毎回のご飯を記録取って見せればいいんか。しかも一日3回食べたかどうかも分かるし一石二鳥じゃん、としばらくご飯を撮って毎回ツイッターにあげていたときがあった。


目的
・一日3回食べてるかの確認
・ちゃんと食べるかを見てもらう

やったこと
・ご飯を食べる前に上から写真撮る
・「朝ごはん食べる」と画像をツイート

実際やってみての反響
・お前はゾンビか
・何だその食生活
・私はその3倍は食べる
・生きてる?
・そりゃ体調崩すわ
・訓練でもしてるの?
・何で「ご飯食べるのがんばった」っていうの
・栄養を考えろ(実際は丁寧な栄養素の分析、何を食べたらいいかの助言)


あっこの日3回も食べてんじゃんすご〜い! と自分を褒めてたけどそんなレベルの問題じゃなかった。もう一回、いろんな人にどんなご飯食べてるか、食べたらいいかを聞いたらめちゃくちゃ具体的なことを言ってくれた。

・色の濃い野菜を食べなさい
・きゅうりもやしキャベツは水だ
・朝しっかり食べてる
・朝は食べてない
・毎日学食食べたらまだましよ
・こんなアプリあるよ

人と比べて自分の食生活はやばいことと、人は食べるとこに対するハードルがほぼないことと、ご飯を食べるのがめんどくさいことは信じられないらしいことがわかった。

4月からの新生活ではほぼ毎日決まった時間に行動することと、緊張と頭使うのでめちゃくちゃお腹へることと、財布がやせ細り長期的な自炊をじゃないとやっていけないことが重なって、4月と5月前半は自分でも人間だなぁと思う生活をしていた。

平日の疲れを土曜に寝て癒し日曜にもそもそ動いて月曜の準備をする週末を過ごしてた。そんなある日の土曜、つかれて朝ごはん食べたあと飲まず食わずでお布団に倒れこみ寝ては目覚めて寝ては目覚めてを繰り返した。次の日の日曜に起き上がれないし汗は出るしお腹気持ち悪いしで死ぬかと思って救急車呼んで点滴2本打って歩けるようになった。

それがきっかけで、しばらく「食シリーズ」を隙間時間にだらだらぽちぽちしていこうかな〜と思ってる。

解決法は「飯食う」です。わかってます。

こうしたらいいんじゃないか〜〜とか書いたりするし飯食えば丸く収まるのは知ってるけどそれができなくなるから考えてるんや…。自分で自分に言い訳してるのは、食べるのめんどくさいときは本当に自分でもどうしようもないし直しようがないから諦めて「めんどくさいときの自分」として扱っているから。ちょっとした別人格みないな感じ。

文章しっちゃかめっちゃかでも気にしない。だってまだ文章書くの上手くないし論理的に物事考えられないから。そのためにちょっとずつでも書いて考えてる。(自己肯定言い訳)


15m×6=1h30m

【観察】外国人と防災のワークショップ

2017年2月11日(土)、「災害が起きたとき外国人をITで守る検証ワークショップin草津」に観察として参加した。

 

詳しくはこちら参照。

災害が起きたとき外国人をitで守る検証ワークショップ

 

 

 

【初めに】

昨年の2016年3月の「災害時外国人支援ハッカソン」で作られた、避難所支援システム「TSU・NA・GU」の検証をした。「災害時外国人支援ハッカソン」は開催されたあとに知り、行ってみたかったと歯がゆい思いをしていたので、今回参加できてうれしい。

 

ワークショップのお題は「災害対策本部に届いた様々な情報を多言語化して、避難所に届けられる状態にする」だ。

 

「2017年2月4日(土)に草津市震源震度6強が起こる。その災害から1週間後の今日、情報ボランティアとして災害対策本部に設置された『草津市災害多言語支援センター』にいる」という想定。今回はその避難所支援システム「TSU・NA・GU」を使うチームと、使わないチームの2チームに分かれて行われた。その2チームはそれぞれ、「TSU・NA・GU」と「災害多言語支援センター設置訓練」で使われる全国的なマニュアルに沿って、お役所から紙媒体で送られてきた書類21枚を多言語化して避難所に届ける。ワークショップの時間は約2時間。

 

 

 

【2チームの性格】

避難所支援システム「TSU・NA・GU」を使うチーム(以下「デジタルチーム」)と、使わないチーム(以下「アナログチーム」)は面白いほどに対照的だった。

 

デジタルチームは「質より量」で、書類21枚のうち約8割は日本語の記事があり、約5~7割はタイ語ポルトガル語・フランス語に翻訳した。ワークショップ開催の約2時間のうち約30分は「TSU・NA・GU」の使い方の説明で、残りの1時間半は日本語のテキスト入力と多言語化の作業をひたすらしていた。

 

それに対し、アナログチームは「量より質」で、書類21枚を三つの班に分かれ今日発信すべき内容を「やさしい日本語」に書き直してから多言語化した。ワークショップ中の約100分が会議によって成り立ち、翻訳はそのあと行われた。

 

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【各チームの状況】

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【作業手順】

ワークショップが終わったあと、総評をするためにまとめる作業をした。そのときに書いたものがこれ。水色のペンで書かれたものは、発表中に書き足した。

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最初、デジタルチームは操作説明などで手間取っていて手順が多く難しい印象を受けた。だが、そっちよりもアナログチームの方が見えない手順が多く、次回も同じようにできるのかと疑問に思った。というのも、外国人や翻訳、防災に妙に詳しかったり場慣れしているような人が何人かいるなと思ったからだ。ワークショップ後に聞いてみると、本当に関係者の方が多く参加されていたそうだ。実際の現場ではボランティアばかりで今回のようになれた人がいるとは限らない。

 

デジタルチームの参加者は「やることが明確でわかりやすい」「優先順位は受け取る人が決めるので、全部あげた方が良い」と言い、アナログチームは「現場だからこそ整理できるものがある」と言っていた。

 

 

 

【翻訳について】

外国人が翻訳しやすいのは、圧倒的にアナログチーム。わかりやすいように「やさしい日本語」で翻訳する情報を書き直している。また、「地震から1週間後はどういう状況なのか」を話し合い今翻訳する情報をピックアップしていった。「やさしい日本語」にする際も、外国人にこの言葉はわかるかどうか添削をしていた。その時に言っていたことは以下の通り。

 

・「生活品の配布」より「食べ物あげます」に変える。外国人はタイトル見て自分にいらないなーと思ったら中身を見ない。だからタイトルをわかりやすくする

・ふりがなは、カタカナよりひらがなの方が読める

・「13:00」より「PM1:00」表記。24時間の時刻は使わない

 

今回の観察ではわからなかったが以前に行われたワークショップでは、翻訳する外国人もGoogle翻訳を使っていたそうだ。難しい言葉が多いためだという。デジタルチームの参加者も言っていたが、便利なGoogle翻訳でも精度が甘いときがあるので気をつけなければならない。エンジニアはそれに対し「この文章はGoogle翻訳です、とか翻訳精度が甘いです、監修済みですとかあったらいいかも」と言っていた。

 

 

 

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作業のしやすさでは、デジタルチームの方が何をするのか明確でやりやすい印象。アナログチームは会議が多く、時間短縮のためにグループを分けてもやっていることがバラバラだったりとコミュニケーションなどの見えない作業が多い。その点、デジタルチームはエンジニアの方が先生のように作業手順を教えるだけでいいので、翻訳作業に集中出来る。

 

翻訳のしやすさでは、アナログチームの方がやりやすい。そのためには、「やさしい日本語」にまとめ直さないといけないが、翻訳する外国人のほか日本人にもわかりやすい言葉になっている。

 

作業や翻訳のしやすさのほか、アナログチームはどの情報を今伝えるかを考えていた。アナログチームは今日明日で必要な情報を翻訳。翻訳作業にも時間がかかるしもらった情報も多くそれを読むのにも時間がかかるからだ。もらった情報の中には、罹災証明だったり避難所などのいつ見てもいい情報と、日付が限られている支援物資などのある特定の期間以前に見ないと意味がない情報がある。そういった、情報の鮮度を見極めて発信することも大事だと気付いた。

 

 

「災害対策本部に届いた様々な情報を多言語化して、避難所に届けられる状態にする」には、以下の点が関わってくる。

・届いた情報をジャンルごとに分ける

・鮮度のある情報をいち早く発信する

・まとめられる情報はまとめる(支援物資情報など)

・翻訳の精度に気をつける

・「やさしい日本語」を使う

 

 

 

【最後に】

防災のことについて卒業制作をしていたので今回お声がけいただいたのだが、防災と外国人のことについて触れるのは初めてだったので新鮮だった。「やさしい日本語」という減災のために考えられた日本語は、外国人以外にも日本人にもわかりやすいので積極的に使っていきたい。

http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/kokugo/EJ1a.htm

 

以下の画像は、蛇足。

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言葉ってすごい(話し言葉編)

言葉ってすごい(話し言葉編)

今回この記事は謎の挑戦してます。同じ内容で、普段の「話し言葉」とレポートとかではないツイッターとかラインとかでの「書き言葉」の2種類書いてます。タイトルに因んで言葉あそび的なやつです。ただ「話し言葉」は軽い土佐弁入ってるのでめちゃくそ読みづらいことこの上ないので注意です。

言葉ってすごい(書き言葉編) - matsuhiro blog

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なんて言えばいいか分からんき、とりあえず「言葉ってすごい」。

 

【真夏の3日間のもやもや】
9月頭に参加した京都大学のサマーデザインスクールは3ヶ月たった今でもまだもやもやしゆう。ただ3ヶ月前に比べてはずいぶん落ち着いた。まだすっきりしやせんけど。

【初日】京都大学サマーデザインスクール - matsuhiro blog

【二日目】京都大学サマーデザインスクール - matsuhiro blog

【最終日】京都大学サマーデザインスクール - matsuhiro blog

 

「何のために観察しゆうのか分からんまんま観察しゆう。なんでなが……」とひたすら考えよっていろんな人にアレは何なんやと思う? って9月中旬や10月に聞いた。そしたら、「バイアスをかけないためと考えたら良い観察だったんじゃない」と言われた。そう考えたら、そうながか。いやそれにしても、観察対象者のテーマはなんなのか、自分はお昼ご飯食べちゃいかんのか、そもそもみなさんのお名前なんていうが〜〜とかがぽんぽこ出てきてすんなり受け入れれん。バイアスはかからんかったけど、歴史ある京の町を無言でひたすらアスファルトやビルとビルの隙間をバシャバシャ撮影してガリガリとバインダーに書き込みゆう人を観察しても何が起こりゆうか分からなすぎた。

 

思いゆうこと、やろうとしゆうことをどんどん口に出して言ってくれちょったらまだやりやすかったがやろうなと思う。実施者の方からは「観察対象者とは馴れ合わないで」と言われたきどういう風に観察するがと質問する間もなく放たれた。やき、「これって観察対象の方に何やってるか質問していっていいんですかね」を聞けんかった。観察での最大の心残り。

 

 

 

【誰に伝えるかを考える】
この勉強会で、観察や記録に関する何かしらを発見したり身についたりするがかなーと期待しちょったけどそうじゃなかった。

 

言葉がすごいことに気がついた

 

ちょっとした表現で、幸せになったり、ムッて思ったり、意味が違って伝わったり、意味がわからんかったりする。そんでその表現は、伝える人によって、その都度変えないかん。

 

一番いいのは、
「「「小学生でもわかる言葉」」」
なんやろうね。

 

なんで「小学生」って例えなのかは、このとき身をもって知った。小学生は、「専門分野で頻繁に使われる単語や、常識だと思い込んでいることの下地がないかもしれない」の擬人化やきや。

 

偶然、同時期に少しコアな会議に「それまで参加していなかった人」を交えたことがあったがやけど、心なしか全部の会議で言葉がマイルドになった気がする。話についていけなくて足を引っ張るかもしれない、と言われちょったけど全然そんなことない。むしろ、あなたがおるきみんなも私も抽象的な言葉や小難しい言葉を使わんくなって、端折られちょったプロセスを丁寧に言葉にしていてめっちゃ助かった。

 

最高なのはその「それまで参加していなかった人」がわからんかったことを質問してくれることや。うやむやにしちょったり、私が勝手にあたりまえやろうと思っちょったことに気がつけた。

 

 


【最近の趣味:抽象的な言葉を駆逐すること】
言葉ってすごい! なんて扱いが面倒ながやこなくそ! と感じるようになってから、「なんで?」「○○ってどういうこと?」と質問したい欲が出てきた。

 

と、同時に中学んときに母に怒られたことも思い出した。実生活においてらうざがられる例。
母「そこのはさみ取って」
私「なんで」
母「だからはさみ」
私「だからなんで」
母「なんでなんでうるさい!」

 

私はただ「はさみを何に使うのか気になった」から聞いた。けど今思い返せば母は「なんで私がわざわざ取らないかんのめんどくさい」という意味合いで受けちょったんかもしれん。あとは単純にいちいち理由を聞かれるのがめんどくさいか。「何に使うん」って聞けばよかったがやろうね。

 

そんでもって最近の趣味は、抽象的な言葉が出てきたらつっこんで聞くこと。

他人の制作についてごりごり本人に聞いたり先生に聞いたりするのが楽しい。自分がやるわけでもないのに。「なんで、なんで」って聞いていくのが、マッサージするような感覚に近くてほぐしていけばどんどん柔らかく扱いやすくなっていく気がして楽しい。

問題点はうざいことと、自分のときにそれができんこと。自分のことになると熱中して物事を俯瞰してみえんくなる。くそかよ。

 

 


【世界が違ってみえる】
質問したい欲が高くなってきてから、雑談力があがった。
前まで、天気の話くらいしかできんかったのにいまはカップスープが冷えてそこそこぬるくなる程度までさらっとした雑談ができるようになった。

 

最近知った良きかな話題は「学校にあるレーザーカッター駆使すれば台紙ありのシールの型抜きできる」「制作とかで写真撮るの恥ずかしいときは中国人観光客っぽく振る舞う」「事務でぽろっと今日誕生日なんですよ〜〜と言ったらファンタ2リットルと人参3本くれた」など。

物理的にも情報的にも考え方的にも、棚からぼたもち。

 

 


【今後の課題はタイミング】
言葉を噛み砕いてわかりやすくする、深掘りして聞くをしていった次は、それらの情報を伝えないかん。そんで伝える言葉はTPOによってタイミングを変えないかん。

 

会議ででた話題を逐一記録、PDFにして全体に共有、けど後日ここどうなんとわざわざPDF作ってまでまとめた内容を聞かれる、つまりよく見てない、つら。

会議ででた話題の〆切とかが近いやつだけをぱぱっとみんなに共有、私が知ってる該当の人には個別で詳しく連絡、後日あれってどうなんとあなたもやったんかいって人に聞かれる、ちゃんと情報共有できてなかった、ううううううっわ。

 

「えーー聞いてないーー」と後から言われるんが癪やき、きっちり隅まで記録するように徹しよったけど、案外人は見やせん。やったら必死こいてわかりやすく見やすくまとめんでいいか〜〜と思ってやった結果がこれ。上の例は、自分を棚に上げて他人のことを言いゆう。私も必要やん〜! と思わんかったら目が滑って隅々まで見ん。各お方すいません。

 

多分情報を伝えるタイミングが合わんかったやろうな。

 

とあるボードゲーム部の活動に参加させてもろうて、全くやったことないボードゲームをいくつか遊んだことがある。そのときの、ルールの説明の仕方が神がかっちゅう方がおった。ボードゲームの説明書順に全部読み上げてなくって、かいつまんで教えてくれよった。なんとなくゲームの概要がわかってきたときにあれっじゃあこういうときどうするん、と思ったときにすかさず追加情報としてルールを読み上げてくれた。エスパーか何かやん……と思ってしまうタイミングで。

 

そのテクニックはまだ把握しきれてないき歯がゆいけど多分、全体像をふわっと伝えたあと詳しい情報を追加しゆうんかなと思う。私はついつい時系列すぎたり、逐一隅々まで説明しゆうきいかんのか。がんばろう。

 

 

 

********
「話し言葉」で書いてみよ〜〜と軽率に思い立って最初っからつらつら書きよったけど、思っちょったよりだれた。一発変換されんし読みにくい。この記事は一回「書き言葉」で書ききってから「話し言葉」に変換しちゅう。

そのおかげか、自分で思いゆうよりも方言がきついことと、「ない」を「ん」って言いゆうことに気がついた。あと、多分方言と知らずに使いゆう言葉もまだまだあるんやろうな〜〜あと大学4年間でいくらか方言薄まったと思っちょったけど意外とそうでもないし、抜けることはもうないんやろな。

言葉ってすごい(書き言葉編)

言葉ってすごい

今回この記事は謎の挑戦してます。同じ内容で、普段の「話し言葉」とレポートとかではないツイッターとかラインとかでの「書き言葉」の2種類書いてます。タイトルに因んで言葉あそび的なやつです。ただ「話し言葉」は軽い土佐弁入ってるのでめちゃくそ読みづらいことこの上ないので注意です。

言葉ってすごい(話し言葉編) - matsuhiro blog

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なんて言えばいいか分からんので、とりあえず「言葉ってすごい」。

 

【真夏の3日間のもやもや】
9月頭に参加した京都大学のサマーデザインスクールは3ヶ月たった今でもまだもやもやしている。ただ3ヶ月前に比べてはずいぶん落ち着いた。まだすっきりしてないけど。

【初日】京都大学サマーデザインスクール - matsuhiro blog

【二日目】京都大学サマーデザインスクール - matsuhiro blog

【最終日】京都大学サマーデザインスクール - matsuhiro blog

 

「何のために観察しているのか分からないまんま観察している。なんでだ……」とひたすら考えていていろんな人にアレは何なんだと思う? と9月中旬や10月に聞いたりした。そしたら、「バイアスをかけないためと考えたら良い観察だったんじゃない」と言われた。そう考えたら、そうなのか。いやそれにしても、観察対象者のテーマはなんなのか、自分はお昼ご飯食べちゃいけないのか、そもそもみなさんのお名前なんていうの〜〜といったことがぽんぽこ出てきてすんなり受け入れれない。バイアスはかからなかったにしても、歴史ある京の町を無言でひたすらアスファルトやビルとビルの隙間をバシャバシャ撮影してガリガリとバインダーに書き込んでる人を観察しても何が起こっているか分からなすぎた。

 

思ったこと、やろうとしていることをどんどん口に出して言ってくれてたらまだやりやすかったんだろうなと思う。実施者の方からは「観察対象者とは馴れ合わないで」と言われどういう風に観察するのと質問する間もなく放たれた。ので、「これって観察対象の方に何やってるか質問していっていいんですかね」を聞けなかった。観察での最大の心残り。

 

 

 

【誰に伝えるかを考える】
この勉強会では、観察や記録に関する何かしらを発見したり身についたりすることを期待していたけどそうじゃなかった。

 

言葉がすごいことに気がついた

 

ちょっとした表現で、幸せになったり、ムッて思ったり、意味が違って伝わったり、意味がわからなかったりする。そしてその表現は、伝える人によって、その都度変えなければならない。

 

一番いいのは、
「「「小学生でもわかる言葉」」」
だろう。

 

なんで「小学生」って例えなのかは、このとき身をもって知った。小学生は、「専門分野で頻繁に使われる単語や、常識だと思い込んでいることの下地がないかもしれない」の擬人化だからだ。

 

偶然、同時期に少しコアな会議に「それまで参加していなかった人」を交えたことがあった。心なしか全ての会議で言葉がマイルドになった気がする。話についていけなくて足を引っ張るかもしれない、と言われたけど全然そんなことはない。むしろ、あなたがいるからみんなも私も抽象的な言葉や小難しい言葉を使わなくなり、端折られていたプロセスを丁寧に言葉にしていてとても助かった。

最高なのはその「それまで参加していなかった人」がわからないことを質問してくれることだ。うやむやにしてたり、私が勝手にあたりまえだろうと思ってたことに気がつけたからだ。

 

 


【最近の趣味:抽象的な言葉を駆逐すること】
言葉ってすごい! なんて扱いが面倒なんだこのやろう! と感じるようになってから、「なんで?」「○○ってどういうこと?」と質問したい欲が出てきた。

 

と、同時に中学生のころ母に怒られたことも思い出した。実生活においてらうざがられる例。
母「そこのはさみ取って」
私「なんで」
母「だからはさみ」
私「だからなんで」
母「なんでなんでうるさい!」

 

私はただ「はさみを何に使うのか気になった」から聞いた。けど今思い返せば母は「なんで私がわざわざ取らないかんのめんどくさい」という意味合いで受けとってたのかもしれない。あとは単純にいちいち理由を聞かれるのがめんどくさいか。「何に使うん」って聞けばよかったんやろね。

 

そしてそして最近の趣味は、抽象的な言葉が出てきたらつっこんで聞くことだ。

他人の制作についてごりごり本人に聞いたり先生に聞いたりするのが楽しい。自分がやるわけでもないのに。「なんで、なんで」って聞いていくのが、マッサージするような感覚に近くてほぐしていけばどんどん柔らかく扱いやすくなっていく気がして楽しい。

問題点はうざいことと、自分のときにそれができないこと。自分のことになると熱中して物事を俯瞰してみえない。くそすぎる。

 

 


【世界が違ってみえる】
質問したい欲が高くなってきてから、雑談力があがった。
以前まで、天気の話くらいしかできなかったのにいまはカップスープが冷えてそこそこぬるくなる程度までさらっとした雑談ができるようになった。

 

最近知った良きかな話題は「学校にあるレーザーカッター駆使すれば台紙ありでシールの型抜きできる」「制作とかで写真撮るの恥ずかしいときは中国人観光客っぽく振る舞う」「事務でぽろっと今日誕生日なんですよ〜〜と言ったらファンタ2リットルと人参3本くれた」など。

物理的にも情報的にも考え方的にも、棚からぼたもち。

 

 


【今後の課題はタイミング】
言葉を噛み砕いてわかりやすくする、深掘りして聞くをしていった次は、それらの情報を伝えるステップがある。その伝える言葉はTPOによってタイミングを変えなければならない。

 

会議ででた話題を逐一記録、PDFにして全体に共有、しかし後日ここどうなんとわざわざPDF作ってまでまとめた内容を聞かれる、つまりよく見てない、かなしみ。

会議ででた話題の〆切などが近いやつだけをぱぱっとみんなに共有、私が知ってる該当の人には個別で詳しく連絡、後日あれってどうなんとあなたもやったんかいって人に聞かれる、ちゃんと情報共有できてなかった、かなしみ。

 

「えーー聞いてないーー」と後から言われるの癪だからきっちり隅まで記録するように徹してたけど、案外人は見てない。なら必死こいてわかりやすく見やすくまとめんでいいかとなった結果がこれ。上の例は、自分を棚に上げて他人のことを言ってる。私も必要だ〜! と思わなければ目が滑って隅々まで見てない。各お方すいません。

 

多分情報を伝えるタイミングが合わなかったんだろうな。

 

とあるボードゲーム部の活動に参加させてもらい、全くやったことのないボードゲームをいくつか遊んだことがある。そのときの、ルールの説明の仕方が神がかってる方がいた。ボードゲームの説明書順に全て読み上げてはいなく、かいつまんで教えてくれる。なんとなくゲームの概要がわかってきたときにあれっじゃあこういうときは、と思ったときにすかさず追加情報としてルールを読み上げてくれた。エスパーか何かか……と思ってしまうタイミングで。

 

そのテクニックはまだ把握しきれてなくて歯がゆいんだけど多分、全体像をふわっと伝えたあと詳しい情報を追加してるのかなと思う。私はついつい時系列すぎたり、逐一隅々まで説明していくからいかんのか。がんばろう。

【最終日】京都大学サマーデザインスクール

201699()京都大学サマーデザインスクールに参加した。最終日。

http://www.design.kyoto-u.ac.jp/sds2016/index.html

 

今日を含め水曜から三日間の集大成をまとめ、15時からポスタープレゼン。会場設置があるので実質作業できる時間は9時から12時の3時間のみ。私たちのところは、まだまとめる作業に入ってないのでここからが正念場。やばい

 

 

【何のためにやるのか

初っ端にこの質問をした。

 

「この年表を作る作業は誰のために何のためにやっているのですか」

「後世に残すため。テーマ番号34番という歴史を記録し、年表にする。年表をどう使おうかは見る人次第。だから解釈の余地があるように断定しないよう書いて」

「なんで歴史を記録するんですか」

「なんのためにあなたは歴史を勉強する?」

「今の時代の成り立ちを知るためですか……?」

「そういうこと」

 

どういうことや。

何のために使うのかはっきりしていないから、年表のためにどう清書すればいいか分からない。ので、聞いたけど特にそれに対する答えはない。ある程度決まりがないとやりづらい。けど席を立たれたのでもう聞けない。考え込んでもタイムリミットは迫ってくるので、つらつらと書きなぐった生データの清書は以下の基準でやった。

 

一つ、同じことについて書かれている箇所は古い時間にまとめて書きほかを削除

一つ、観察者の主観が入ったものは全てその他に分類

一つ、後々つながっていないであろう出来事は削除(くしゃみをした、など)

 

いま書き出していって気づいたのは、このこと他の参加者二人には共有してなかった。ただでさえ観察している人が三人のひよっこ観察者で主観が少し入っているのに、清書も基準なくやっているからぶれぶれだー。

 

実際、懇親会のとき、観察対象の方から「年表みたら何となく誰が書いたか分かる。詳しく書いていたり素っ気なかったり主観があったり書き込み具合が違うから」というお言葉をいただいた。

 

必死になっていたから表記ブレに気をつける余裕がなかったんだと気づいた。

 

 

【こうして歴史は改変されていくのか】

同じく懇親会のとき、観察対象の実施者(先生、仕掛人の様な立ち位置)の方がつぶやいた言葉。

 

「年表では僕が言った言葉全て指令って書かれてて、ちょっと意味違うなぁ。あぁこうして歴史は改変されていくのか、と思った」

 

このことに関しては本当に盲点だった。

年表は下記の様に書くとそれっぽいよといただいたフォーマットに沿って清書していた。

 

・苗字、ほにゃらら(できるだけ体言止め)

・苗字、「ほにゃらら」と発言

・苗字、指令「ほにゃらら」

「ほにゃらら」とする説あり

「ほにゃらら」とみるむきあり

 

フォーマット化してまとまりのある表現をするより、より意味の近しい言葉で表現しないといけなかった。ニュアンスが少しでも違うと、少しずつ違う意味に捉えられるからだ。

 

 

【言語が違う】

1日目、2日目は感じなかった言語の違いがポスター制作のときにはっきりとした。

 

ポスター制作とは言っているけど、私たちの場合は「自分の陣地に来た人にプレゼンするために、ホワイトボードに直で文字書いて関連の紙資料を磁石やマスキングテープでペタペタ貼る作業」略してポスター制作。他テーマの参加者さんたちは模造紙に書いたりデータを出力して貼ったりと様々。

 

私は美大だからか、ポスター制作を頼まれた。私以外の人たちは同時並行で年表の作業をしている。大まかに入れる内容を実施者とタイマンで話し合ったあと、その内容をどう組むかの作業に入った。

 

このポスター制作時のもやもやはうまく表現できなかったので、そのままその時の心情をだらだらと書く。

全分読まなくても多分大丈夫。

 

**********(以下ポスター制作時の心情)************

できあがった年表のが大事だから、プロセスをグダグダ書かない方がいいかな単語で書こう。使用した紙資料の内容をホワイトボードに書き出そうとしても膨大すぎて散らかって何が言いたいのかより分からなくなるから書き出さんことう。でもプロセス指差して「ここどんなことしたの」と聞かれたとき用に紙資料をきれいに束にして貼ろう。プレゼンまで残り2時間切ったのにまだ年表の内容いじってる、から年表完成したとしても印刷データ作る時間ないだろうな~~よしモニターどっどーんと置こう。あと多分ここのチーム何やってるか他の人から見て、分かんないだろうな。キャッチコピー入れた方が、通りかかったとき気になるよな。正式テーマの下に『私たちは34番の歴史を記録していた』って書こう。

「あっこの資料あるよ」

うわー黄緑色の色画用紙に貼られた紙資料追加された。なんで色画用紙に貼ったんやろ。だsよしプロセスに関連する紙資料を黄緑色の色画用紙に貼ろう。そうしよう。

 

「年表の凡例できた。どこに貼る?」

あっそれも貼るんですね。色いっぱい入れたら視線誘導しづらいから抑えたい。黄緑は確実に使わないといけない……。凡例は重要そうだから赤で目立たせよう。

私「プロセス関連の資料は黄緑色の色画用紙に貼ってるから、その年表関連の資料は目立つよう赤の色画用紙に貼ろう」

「うんわかった。貼っとくね」

と色画用紙に貼られた凡例は黒色の色画用紙に貼られてた。私赤って言ったよな。赤の理由も言ったよな。言語が違うのか。もういいや。私は今からモノクロの世界に入るんだ。情報をプレゼンしやすくかつ伝わりやすいよう、整理して配置しよう。そうしよう。

「観察中の写真印刷してきたよ~」

また追加資料かい。もういいや。ペタペタ貼っていいや。なんか作業した感出るようにいい感じに勢い付けて貼ろう。

「あっそう観察中に計測してた気温や二酸化炭素量のデータも印刷し

ピンポンパンポーン「お昼です。会場をプレゼン用にレイアウトし直すので参加者の皆さんは会場から退室してください」

 

昼ごはん。作業しながら昼ごはん。年表の組み立て作業は大詰めなようであとは、弥生時代・江戸時代といったような時代区分を入れるだけのようだった。そのため年表にかかりっきりだった人たちがポスター制作に目を向けた。

「デザインのことよく分からないけど、ホワイトボードに貼ってある内容を四角い感じにプロセス通りにしたらいいのかも」

「(情報の順番整理するのデザインならレポート書くのもデザインであって、あなたの方が手練れているのではないのかなあと追加資料が続々ときてペタペタ貼られt)そうですね。私もそう思います。ところで四角い感じって何ですか」

**********(以上ポスター制作時の心情)************

 

何が言いたいかというと、

「全員相手の立場を考えず、自分のあたりまえで行動している」こと。

 

・追加資料があることを言わない

(追加資料が来る前にこんなレイアウトにしますねって報告したとき「うんいいね」としか言ってなくて、私がホワイトボードに書き込みをしている間にせっせと追加資料の印刷をする)

・目の前に紙とペンがあるのにレイアウト案を抽象的な言葉で説明する

・色に意味をつけて情報を整理する(言い方がわからない)ことを伝えない

 

あっこれ言語が違うのか、と思った。

文化が違うというよりかは、言語が違う。特に3つ目のことに関してはそう。

私が専門的に学んでいる分野でのあたりまえを押し付けていた。そのことに気づかなくて、なんで言った通りにしてくれなかったんだろうと思っていた。

 

 

【「選ばれたのは見た目がいいやつ」でした】

プレゼン終わりに各章の発表があった。

選ばれたのはほぼほぼポスターの見た目がいいものばかり。

やっぱ見た目がいいと目を引くし整理されているものがほとんどだからわかりやすいのかなーと思っていたら締めで主催の方も同じようなことをおっしゃっていた。

 

すごいことをしていたとしてもポスターの見た目によって読まれなかったものもあるんだろうなと思い「もや〜」とした。ポスターの出来も成果物に入るけどそこの入り口で弾かれて見られすらしないのはどうなんや、と。その「もや〜」に近いこと言っているものがこちら。

そしてこの方法は、今回ご紹介した可読性、視認性、判読性が低いと、一気に情報が伝わらなくなってしまいます。

せっかくがんばって作ったチラシや執筆した文章が、

「何だか文字がわかりづらいな、読むのやめとこ。」

「何だか文字が見えないな、読むのやめとこ。」

「何だか文章の意味がわからないな、読むのやめとこ。」

このように判断されては非常にもったいない。

ちゃんと読んでもらえば良さはわかるはずだ!と思っても、そもそも読まれなければ意味がありません。

文章の読みやすさを決める可読性、視認性、判読性とは

 

研究したことや発見したことがいいことなんではなくて、それを第三者に伝えることに成功して初めて研究や新発見「した」ことになると考えているからなのかな。自分でもよくわからない。

 

 

 

【参加して思ったこと】

言葉ってすごいんだな、と改めて思った。

 

「あ」で伝わる新聞に書かれた某局の番組名。

「赤色の画用紙に貼って」ではあたりまえを押し付けていて意味が正確に伝わらなかった言葉。

「指令」と表記を揃えるために書いて意味が変わる言葉。

 

すごいTPOによって違う。

最近、この世のすべての問題は言葉足らずが原因なんじゃないかと思い始めていたのが確信に変わった。(ただし人間関係に限る)

 

 

UX KANSAI_#4

UX KANSAI #4


【過去を振り返る】
やっている最中は気づかなかったけど、ペルソナ作ってCJM作ればサービスのアイデアがより具体的になったのかなと思った。

いままでユーザーの本当にやりたいこととはなんぞや、をやってきた。発想法、外へ出て観察し分析、インタビューしてCJM制作。そして今回「ビジネスモデル・キャンパス」。実在する企業のビジネスモデルを可視化して、新たなサービスを提案する。

全5回あるこの勉強会でいまは4回目。1〜3回目のことが生かされてない。あーいままで何やってたんだ。


【ビジネスの計算】
利益の計算で、特に何も考えずかけ算をしていた。

10,000人×20,000円=2億円

それに対して「1日何人来るの、何曜日に来るの、夏と冬同じ人数来るの」とツッコミをもらい答えられていなかった。

私はその数字がどうやって出たのか見逃していて分からなかった。私の所属していたAチームの発表が終わったあと、私事で出ないといけなかったので他チームの発表は聞いてない。

帰りの電車で「計算ができていない」と言われたことに、就活でのグループワークを思い出した。

 

またあとで加筆する…

【二日目】京都大学サマーデザインスクール

※最終的朝に書く。まだ最終的やってない。


2016年9月8日(水)、京都大学サマーデザインスクールに参加した。二日目。
http://www.design.kyoto-u.ac.jp/sds2016/index.html


今日は初日に観察したことの清書と、引き続きまるじの観察をした。

結論から言うと、「何で観察しているかを知らないまま観察していた」。

 


初日は受付終了ギリギリの9時半過ぎに会場入りしたが、二日目は9時開始とのことで朝の通勤通学ラッシュの電車に乗り込んだ。乗り合わせた高校生が「何で今日こんな多いん」と悪態ついていたので何人か同じ場所向かうんか会場までの地図出さんで着いてけばいいやんラッキーと思いながら揺られる。

着いてポチポチ初日のブログ書いていたら雷が鳴り雨に降られた人がぞろぞろ会場に入ってきた。確か9時7分からまるじが行動開始したので、すかさずiPad持って観察開始。


【観察】
初日であだ名羅列の乱を起こし、どのあだ名が誰を指しているか推測する無駄な作業を増やしてしまったので、固有名詞を使うよう意識。また、3台で記録した情報が一ヶ所にまとめたとき、誰がどれを書いたかの情報はなく、自分にだけ分かるように書いてしまってた文(主語省略、単語羅列、あだ名、)の汲み取りができなかった。ので出来るだけ誰にでも分かるように主語述語動詞を書き上げるよう意識。

観察をしていて、言われた一言「プロジェクト全体の流れを追いたいから個人の動きよりプロジェクト内容を書いていって」

えっ?


【何のためにやるのか】
私は、「プロジェクト中の人の観察を通してそのプロジェクトと受ける態度の改善をするため」にやっていると思っていた。だからプロジェクトの本筋とは関係のない人の行動も記録していた。


星、バインダーをかかげ日差しを避けている
星、自販機で水を買う


「プロジェクトの内容を書いて」ってことはまるじの議事録を分単位で記録しているのか? 何のために?? 記念???

この言葉を言われたときは「はいそうします」と受け入れ、何の疑問にも思わなかった。あれ? と思い出したのは二日目記録の分類方法はどうしようかと議論しているとき。二日目の観察、初日記録の分類(まるじの行動、まるじの観察発話内容、その他)、二日目の観察その2、ご飯、「あの一言」、二日目の観察その3、初日記録の分類、二日目記録の分類方法議論(ココ)、閉場、スタバですり合わせ、お家で宿題。

 

【このためにやる??】
・まるじプロジェクトの改善(2回目がないと意味ない)
・プロジェクトにおける人の集中力持続の変異からみるプログラムの組み方資料(集中力に波があった)
・記録方法メソッドの提案(使用したアプリの製品化)
・まるじプロジェクトのとても豪華な議事録
・年表を知る

最終日朝に聞こう