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言葉ってすごい(書き言葉編)

言葉ってすごい

今回この記事は謎の挑戦してます。同じ内容で、普段の「話し言葉」とレポートとかではないツイッターとかラインとかでの「書き言葉」の2種類書いてます。タイトルに因んで言葉あそび的なやつです。ただ「話し言葉」は軽い土佐弁入ってるのでめちゃくそ読みづらいことこの上ないので注意です。

言葉ってすごい(話し言葉編) - matsuhiro blog

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なんて言えばいいか分からんので、とりあえず「言葉ってすごい」。

 

【真夏の3日間のもやもや】
9月頭に参加した京都大学のサマーデザインスクールは3ヶ月たった今でもまだもやもやしている。ただ3ヶ月前に比べてはずいぶん落ち着いた。まだすっきりしてないけど。

【初日】京都大学サマーデザインスクール - matsuhiro blog

【二日目】京都大学サマーデザインスクール - matsuhiro blog

【最終日】京都大学サマーデザインスクール - matsuhiro blog

 

「何のために観察しているのか分からないまんま観察している。なんでだ……」とひたすら考えていていろんな人にアレは何なんだと思う? と9月中旬や10月に聞いたりした。そしたら、「バイアスをかけないためと考えたら良い観察だったんじゃない」と言われた。そう考えたら、そうなのか。いやそれにしても、観察対象者のテーマはなんなのか、自分はお昼ご飯食べちゃいけないのか、そもそもみなさんのお名前なんていうの〜〜といったことがぽんぽこ出てきてすんなり受け入れれない。バイアスはかからなかったにしても、歴史ある京の町を無言でひたすらアスファルトやビルとビルの隙間をバシャバシャ撮影してガリガリとバインダーに書き込んでる人を観察しても何が起こっているか分からなすぎた。

 

思ったこと、やろうとしていることをどんどん口に出して言ってくれてたらまだやりやすかったんだろうなと思う。実施者の方からは「観察対象者とは馴れ合わないで」と言われどういう風に観察するのと質問する間もなく放たれた。ので、「これって観察対象の方に何やってるか質問していっていいんですかね」を聞けなかった。観察での最大の心残り。

 

 

 

【誰に伝えるかを考える】
この勉強会では、観察や記録に関する何かしらを発見したり身についたりすることを期待していたけどそうじゃなかった。

 

言葉がすごいことに気がついた

 

ちょっとした表現で、幸せになったり、ムッて思ったり、意味が違って伝わったり、意味がわからなかったりする。そしてその表現は、伝える人によって、その都度変えなければならない。

 

一番いいのは、
「「「小学生でもわかる言葉」」」
だろう。

 

なんで「小学生」って例えなのかは、このとき身をもって知った。小学生は、「専門分野で頻繁に使われる単語や、常識だと思い込んでいることの下地がないかもしれない」の擬人化だからだ。

 

偶然、同時期に少しコアな会議に「それまで参加していなかった人」を交えたことがあった。心なしか全ての会議で言葉がマイルドになった気がする。話についていけなくて足を引っ張るかもしれない、と言われたけど全然そんなことはない。むしろ、あなたがいるからみんなも私も抽象的な言葉や小難しい言葉を使わなくなり、端折られていたプロセスを丁寧に言葉にしていてとても助かった。

最高なのはその「それまで参加していなかった人」がわからないことを質問してくれることだ。うやむやにしてたり、私が勝手にあたりまえだろうと思ってたことに気がつけたからだ。

 

 


【最近の趣味:抽象的な言葉を駆逐すること】
言葉ってすごい! なんて扱いが面倒なんだこのやろう! と感じるようになってから、「なんで?」「○○ってどういうこと?」と質問したい欲が出てきた。

 

と、同時に中学生のころ母に怒られたことも思い出した。実生活においてらうざがられる例。
母「そこのはさみ取って」
私「なんで」
母「だからはさみ」
私「だからなんで」
母「なんでなんでうるさい!」

 

私はただ「はさみを何に使うのか気になった」から聞いた。けど今思い返せば母は「なんで私がわざわざ取らないかんのめんどくさい」という意味合いで受けとってたのかもしれない。あとは単純にいちいち理由を聞かれるのがめんどくさいか。「何に使うん」って聞けばよかったんやろね。

 

そしてそして最近の趣味は、抽象的な言葉が出てきたらつっこんで聞くことだ。

他人の制作についてごりごり本人に聞いたり先生に聞いたりするのが楽しい。自分がやるわけでもないのに。「なんで、なんで」って聞いていくのが、マッサージするような感覚に近くてほぐしていけばどんどん柔らかく扱いやすくなっていく気がして楽しい。

問題点はうざいことと、自分のときにそれができないこと。自分のことになると熱中して物事を俯瞰してみえない。くそすぎる。

 

 


【世界が違ってみえる】
質問したい欲が高くなってきてから、雑談力があがった。
以前まで、天気の話くらいしかできなかったのにいまはカップスープが冷えてそこそこぬるくなる程度までさらっとした雑談ができるようになった。

 

最近知った良きかな話題は「学校にあるレーザーカッター駆使すれば台紙ありでシールの型抜きできる」「制作とかで写真撮るの恥ずかしいときは中国人観光客っぽく振る舞う」「事務でぽろっと今日誕生日なんですよ〜〜と言ったらファンタ2リットルと人参3本くれた」など。

物理的にも情報的にも考え方的にも、棚からぼたもち。

 

 


【今後の課題はタイミング】
言葉を噛み砕いてわかりやすくする、深掘りして聞くをしていった次は、それらの情報を伝えるステップがある。その伝える言葉はTPOによってタイミングを変えなければならない。

 

会議ででた話題を逐一記録、PDFにして全体に共有、しかし後日ここどうなんとわざわざPDF作ってまでまとめた内容を聞かれる、つまりよく見てない、かなしみ。

会議ででた話題の〆切などが近いやつだけをぱぱっとみんなに共有、私が知ってる該当の人には個別で詳しく連絡、後日あれってどうなんとあなたもやったんかいって人に聞かれる、ちゃんと情報共有できてなかった、かなしみ。

 

「えーー聞いてないーー」と後から言われるの癪だからきっちり隅まで記録するように徹してたけど、案外人は見てない。なら必死こいてわかりやすく見やすくまとめんでいいかとなった結果がこれ。上の例は、自分を棚に上げて他人のことを言ってる。私も必要だ〜! と思わなければ目が滑って隅々まで見てない。各お方すいません。

 

多分情報を伝えるタイミングが合わなかったんだろうな。

 

とあるボードゲーム部の活動に参加させてもらい、全くやったことのないボードゲームをいくつか遊んだことがある。そのときの、ルールの説明の仕方が神がかってる方がいた。ボードゲームの説明書順に全て読み上げてはいなく、かいつまんで教えてくれる。なんとなくゲームの概要がわかってきたときにあれっじゃあこういうときは、と思ったときにすかさず追加情報としてルールを読み上げてくれた。エスパーか何かか……と思ってしまうタイミングで。

 

そのテクニックはまだ把握しきれてなくて歯がゆいんだけど多分、全体像をふわっと伝えたあと詳しい情報を追加してるのかなと思う。私はついつい時系列すぎたり、逐一隅々まで説明していくからいかんのか。がんばろう。